ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第百四十一話:「立春大吉」
2023/02/03
最終更新:2026-09-08
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二十四節気の最初は二月四日もしくは五日の「立春」で節分の翌日です。 陰暦の頃は、新年と春が接近していましたが、陽暦が採用されて以降、まだ寒い盛りに「春来る」と言ってもピンと来ませんが、冬をやり過ごそうと言う心の支え、意識を春へと感じ取ることは、日本人の季節の推移に敏感で、せっかちな感性を示すものかもしれません。 西洋風に合理的な手法に基づき、黄道上の太陽の位置によって、冬至と春分との中間を、「これから春になる日」「年の初めの日」と決めたのですから、暖かい季節が春なのでなく、春になったから暖かくなると考えた方が良さそうです。 立春の雪白無垢の藁家かな 川端茅舎立春の雨やむ群ら嶺雲を座に 飯田蛇笏 昔から日本人は、春が来ると言う気持ちを大事にして来ました。 節分の日の夜になると「鬼を退散させるのだと言って豆を撒く」厄落としの習俗は今にも残るし、春になると「異郷から神が訪れて来て、村々の生活が幸福であり、穀物の実りが豊かであることを約束して、帰って行った」と信じて来ました。 その約束の言葉が「立春大吉」と言い、寺社のお札に、縦書きの墨字で書かれた半透明のお札を、立春の日の朝、ガラス戸や障子に張り付ける風習が残っています。この四文字すべてが、左右対称なので、表から見ても裏から見ても同じ「立春大吉」と読めるので、この文字を見てある家の屋内へ入り込んだ鬼が、ふと振り返ると、同じ文字が目に入り、次の家へとすぐ出て行った、と言う謂れに由来するようで、「開運除災招福」の護符として、次の年の立春に新しいお札に張り替えるのだそうです。 雨の中に立春大吉の光りあり 高浜虚子立春大吉舟屋の前に赤き浮子 池上樵人 ところで「春立つ」は、暦の上の節気用語の「立春」とは、厳密に言って違う古語だそうで、「八雲たつ」などの古代用例から、自然現象を言う表現で、春の誕生を言祝ぐ歓喜の気持ちが籠っている言葉で、古代人が、如何に春を待ち焦がれたかが想像出来るし、太陽の生命への讃歌とも言えそうです。 ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春たつらしも(柿本人麻呂) 岩ばしる垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも(志貴皇子) 春立ちてまだ九日の野山かな 松尾芭蕉春立つや愚の上にまた愚にかへる 小林一茶花鳥にひま盗まばや春も立ち 杉山杉風春立つや朝夕はまだ海の音 堀 麦水 春立つ夜あの世の友にも為事あれ 中村草田男 |
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