ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第六十二話:「伊勢志摩G7サミットを回顧して」

2016/06/17
最終更新:2026-09-08
今般の伊勢志摩サミットに関しては、意義や成果を問い、疑うコメントも多くありましたが、その後の中国、北朝鮮、ロシアの反発ぶりと強気と弱気が交錯した批判などをみると、所期の目的が達成できたように思われます。
特に、オバマ大統領の広島訪問と世界へ向けた声明と、当事国のアメリカ、そして世界的な反響まで加味すると、“仕組まれた安部外交”の歴史的成果は挙がったものと考えられます。成功の最大要因は、言うまでもなく安倍内閣の安定政権にありましたが、忘れてならないのは、地元の関係者や裏方を担ったすべての関係省庁、特に最前線で細心奮闘された警察組織と防衛省、海上保安庁の職員たちであって、こうした方々に改めて深甚なる敬意と感謝の念をささげるべきであろうかと考える次第です。
 まず、サミットの誕生要因にあった戦勝国主導の国連の機能不全(殊に常任理事国として徒に拒否権を悪用する覇権主義独裁国家のソ連(当時)と中国に煩わされる事態)を回避しつつ、日独伊・戦敗三か国も加えた先進民主主義国家間によるリーダーシップ確立という意味では、昨今のロシアや中国による国際法無視のもと、“力”による領土・領海侵犯が目に余るにつけても、G6サミットの原点回帰の意義は大きいと言えます。
もう一点の自由経済圏拡大策論議に関しては、中国、ロシアの参画もあり、その後の新興国の経済力アップの結果、G6、G7のGDP世界シェアーが、当初は世界の7割を占めていたのに、今や50%を下回るまで減少してしまった以上、世界経済の議論をするなら、中露も外せないとか、GDPシェアー合算7割以上をカバーするにはG20に委ねるべきではないかとの論評も聞かれますが、これには、異論もあります。
(G20は国連同様、意見分断で纏まりを欠くのが通例)
 そもそも、GDPのみに頼る“国力の経済的評価”には、大いなる疑問符がついていることは、これまでも多くの経済学者が指摘してきた通りです。
もともとGDPとは、文字通り“国内総生産消費額”しか含まれていない数字であり(国外所得はもちろん、多額の国内所得が計上されていません)、それには主たる理由があって、世界大戦前のアメリカの商務省インテリジェンス機関が、各国の実力比較を数値化する上で、外部からも比較的把握が容易な数値のみを分析・比較したことに端を発しており、明らかに総合国力を表すものではないのです。
どちらかといえば、GDPとは、途上国の経済成長度合いを測る尺度に過ぎないのです。
 最適な国家的実力比較なら、やはり“GNI,=総国民所得”まで踏み込まなければなりませんが、当然のこと、“真の所得”つまり国家の懐の中身はお互い極秘事項であり、ましてや数値化できないといわれる“ソフトパワー”の付加価値まで公表しあうことなどあり得ないわけです。したがって、特に“先進国”の現実の総合所得は、はるかに奥深く、新興国とは比較にならないと言われており、そうした観点から改めて考えてみると、やはりG7の世界経済支配力は、依然7割強の実力を備えているとみるのが妥当ともいえそうです。
 さて、伊勢神宮参拝は、自然信仰たる”神道“独自の伝統文化を体験・理解してもらうことで、キリスト教欧米先進国の大いなる誤解(神道を軍国主義と結び付ける論議)を解くきっかけになったのではないかと考えられます。
もっとも、安倍首相が主導して、世界経済の危機対策に未然の防止策を打ち出そうとの試みは、残念ながら各国の経済的背景がバラバラであったこと、シェルパ(各国官僚スタッフ)たちの事前の根回しが、イスラムテロ対策と原油安という共通課題を除き、あとは中国経済劣化、鉄鋼のダンピング輸出、欧州の難民と諸国の債務危機問題、ユーロ安再危機問題、英国のEU離脱問題とポンド安、米国景気動向と金利対策、租税回避地問題など、あまりにも各国固有でバラバラの諸問題が中々議論の同調に至らなかった点、やや物足りなかった観が否めません。
 ましてや、”リーマンショックなみ”という比喩は誤解を招き、失策だった気がします。
中国経済依存度の高い欧州勢が同意しなかったとはいえ、やはり“中国経済の失調・元安は、リーマンショック以上の危険域にある”と名指しで「中国失望論」まで踏み込んだ議論をすべきだったのではないでしょうか。

少なくとも、“中露”と名指しこそしなかったものの、国際法と海洋秩序遵守を謳い、平和的な手段による紛争解決に言及、文化交流と今後の経済的連携を深め、確認しあうことができた点では、何とか及第点に達した意義深いサミットでした。
いずれにせよ、大衆迎合的ナショナリズムという「トランプ化」が欧州にまで広がっていることは垣間見えたサミットでした。
 米国大統領の広島訪問という歴史的風景は、「核廃絶」とか、「対日和解」という側面を度外視しても、「核の惨害」の癒し効果と「核拡散の脅威」に対する牽制という極めて具体的な意義深いものであったと思量いたします。
オバマ大統領の声明の最後の語句「Our Own Awakening」は、先行した安倍首相の「一般市民や子供を抱き込んだ惨害」という表現に極めて明確に呼応したもので、「米国自身が(原爆のもたらした悲劇に)覚醒した」という有意義な表現になっており、ある意味”謝罪“に代わる強い言葉だったと評価する次第です。
核戦争は、ある意味過渡期に差し掛かっているようです。

東西冷戦時代、それをリードした米露は、それぞれ現在7千発づつを保有するに至ってしまった訳ですが、実際上、地上の全人類を壊滅させるだけには、1500発もあれば十分だそうですから、その過剰保有分を含む維持費たるや膨大なものがあり、お互い無駄なコスト競争下にあるというのが現状です。
他の核保有国は、仏英中がそれぞれ300発前後、パキスタン、インドも100発以下、北朝鮮に至っては、8発に過ぎないということらしいです。
まずは、米露間だけでも、事実上“不要”な5500発づつの大幅な核削減に取り組んでもらうのが現実的で先決な取り組みではないでしょうか。
唯一の被爆国として、非核を全うしてきた日本が果たすべき役割の一端を、今般世界へ向けて発信できたことの意義には深いものがあったと考えます。
 最後に、既述しましたように、いずれの国も国益上、お互いに真相を探られたくないため、具体的な公表を内外ともに控えている実質的な所得や資産内容の国際比較ですが、一説によると、実は“日本こそ世界一の経済力を保持している”らしい一面に触れてみます。

こと、国家資産に関して、対外資産を保持し続けている国家は極めて限られており、多くの大国が、対外負債問題を抱えている中で、対外資産残高、および純資産残高が25年間にわたって、連続して世界最大を維持しているのが、わが日本国です。

国力比較には無意味ともいえる、GDPこそ、米国と中国に後れを取り、失われた20年とか、デフレの10年とか、マスコミや一部経済評論家の自虐的な論評の裏で、日本の国外投資規模は、米中のみならず、世界諸国を震え上がらせる規模を堅持していることを、少なくとも各界リーダーや有識者はもっと自覚しておくべきではないかと訴求する次第です。

G7に唯一の有色民族として参加している日本こそ、アジアの代表を自任し、世界のトップリーダーシップを発揮し続けなければならないし、そうした責任を果たすべきではないでしょうか。今般は、日本が主催する第六回目のサミットでしたが、筆者が記憶・自覚する中で、最高の出来栄えであったことを振り返りつつ、現下の米国や欧州の弱体化、中露の横暴な覇権主義の非を顧みるに、21世紀中葉から後半は、“パクスジャポニカ”の時代が到来する予感を覚えます。