ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第五十七話:「我が国の劣化を糺し、正す」

2016/03/02
最終更新:2026-09-08
21世紀の世界は大戦こそ無くなりましたが、国境を跨ぐ局地戦や内乱が絶えず、米欧を始め先進諸国の富とリーダーシップが消失する中、期待された新興国群も、ここへ来て中国やロシアが経済失速に陥り、(特に“オバマ米国警察“の職務放棄に乗じて)
特に両国の強圧的な覇権行動が目立つようになって、愈々乱気流に巻き込まれてきました。
その中にあって、唯一日本こそ、やっと政情の安定度が増してきた所為もあり、これから経済力の再興を遂げ、ソフトパワーを発揮することで、アジアのリーダーシップを握り、ひいては欧米に替わり世界の先導役を担う絶好の位置につけていると言える現状です。
しかしながら、昨今の内情は、余りにもお粗末な事件やスキャンダルが各界に及んで続発することが嘆かわしく、戦後教育の失敗や戦後史観の悪影響による”日本人らしさ“を喪失し劣化してしまった個人や団体が増えつつあることは、まことに心痛の至りです。
以下順不同ですが、一部の具体事例を列挙し、その是正を希求する私案を提示させて頂く次第です。
 
1.外交改革を急げ。
慰安婦問題を初め日韓・日中の歴史問題であれ、北方や尖閣・竹島等の領土問題であれ、国連における数々の歯がゆい思いも含め、戦後の外交は、自虐史観による呪縛と、日本人特有の気配りなり、言挙げしない伝統文化が相重なって、国益を損ねる失策が多すぎます。
和歌や俳句の世界を持ち出すまでもなく、島国で同一文化風習を共有する日本人は、少ない言葉で相手に類推を委ねる傾向がありますが、一旦海外の諸国や地区を訪ねると、先進国か低開発国とかを問わず、文化伝統や宗教・言語を異にする多様な人種が混在する世界に戸惑いを覚えることが多くなり、日本的な気配りに根差す曖昧で遠慮勝ちな表現等は、むしろ支障となって、意思疎通に齟齬を来しかねません。外国人と接する場合、日常生活や観光旅行では直接的に諾否を明言しなければ、意思疎通出来ないし、外交やビジネス折衝なら、懇切丁寧な断固とした発信無くして、問題解決は不可能となってしまいます。
国際社会が日本側の見解発信や日本人の婉曲的な表現を良く理解できずに誤解をし、逆に声高な宣伝広報を繰り返す敵対国側の主張を鵜呑みにしてしまうケースが相次いでいるのが実情です。
 この背景に外務省の体質というか弱腰の姿勢がありました。典型的な事例の一つが、国連人権委員会での慰安婦問題糾弾のクワラスワミ報告に対して、用意されていた日本側の反論を或る外交筋が拒絶した(当時の国連大使だった小和田氏=左派的言動が目立った元外務省事務次官=が主導したのではないかと見ておりますが)ことでしょう。
抑々この問題は、捏造記事を長年垂れ流した朝日新聞や英字紙Japan Timesなどの反日派ジャーナリズムと、福島瑞穂氏ら旧社会党系(社民党)議員、戸塚悦朗氏ら左派弁護士や人権派学者たちが、宮沢内閣の弱腰外交(首相の度重なる謝罪や河野談話等)に影響を与えるなど、日本側自体の自虐的な言動が中韓の捏造史に加担してしまったことも、問題を肥大化させて行った経緯もありました。
 これを正す即効策は、外務省の広報機能と国連関連業務を分離し、首相直轄の「国際広報」と「国連担当」の独立した事務局を創設し、海外体験を有する民間学識者や実業界出身者をリーダーに据え、一部政治家や官僚を交えた組織を新設し、妥当な予算を付け、積極的活動を急ぐことを提言致します。今般、国連女子差別撤廃条約委員会で、慰安婦問題に関して、これまでの外務省OBたちとは真逆の明確な反論(残念ながら20年遅かったが!)を行った杉山外務審議官のような気鋭の官僚なら、新組織の戦力として今後とも期待できそうです。
要するに、体系的な歴史認識視座からの対中韓のみならず、全世界や国連に向けた国際広報に徹し、わが国の名誉を守り国益を損ねない国際広報プロジェクトチームの組織化が急がれ、その活動を通じてのみ、国際社会における日本の汚点を拭い去ることが可能になると考える次第です。
 
2.政治の劣化に歯止めを掛けよ。
国会議員、地方議員を問わず、節操がないと言うか、腋が甘いと言うか、政治家失格者が続出しているのは、誠に情けない現実です。
もちろん、劣悪な無資格議員を選挙で送り出してしまった選挙民にも責任の一端はあるでしょうが、問題は議員数が多すぎることで、無謀な公募制に頼るとか、無定見な政見が罷り通る演説会や選挙公報紙、ポスターやマスコミ情報の不備などによる議員評価の難解さと、雨後の竹の子のような政党乱立や野合と離散の繰り返しなどが選挙民の耳目を混乱させ、結果として不適切な議員を送り出してしまう現状に繋がっているものと思われます。
 これを正すには、衆参両院議員、都道府県会議員、市区町村会議員すべてにわたって、定数を大幅削減(思い切って半数に)することで、少なくとも無能で悪質な議員をかなり一掃できる筈です。
(因みに米国と比較すると、国会が三倍強、東京都議対NY市議で約1.5倍、対LA市議では約2.5倍と定数が多過ぎます。)
それと、国家なり地方各レベルに応じた政見発表に関しては、各候補者の自由裁量に任せるのではなく、全候補者に共通の質問を統一されたアンケート方式によって、国家観、外交(地方議員は対中央、対近隣観)歴史観、景況感、道義・人生観、教育観、社会保障観、文化芸術スポーツ観等々や、社会的(団体活動)参画の経験・成果を問うことも大切です。
重要なのは、“広範にして共通”なる諸見識と諸政策、経験を問い質すことで、選挙民が対比しやすくなり、選びやすくなること請け合いです。少数精鋭、成果主義は、どの世界でも必達条件であるべきです。
 
3.社会機能や家族、人間関係の劣化を防止せよ。
生活保護や失業保険が、元来支払うべき条件を持たない多くの人々の手に渡って居たり、年金等の受給が不明朗になって居たり、各種の公的相談所(役所、警察等)がストーカー事件、家庭内外暴力や学校・職場等での苛め、人権侵害事象等への駆け込みに対し無策無為に推移し、結果的に大事件や悲惨な犯罪を多発させるという失策が多すぎるように思われます。
その背景に、見え隠れするのは、余りにもプライバシー侵害を怖れ、見て見ぬ振りをする非干渉主義の横溢と、極めて安易簡便な書類審査だけで万事を済ませ、現地現場へ足を運んで、関係総員との面談・周辺からの事情聴取を繰り返し、具に実態を把握して解決策を講じる責務を果たそうとしない無責任な公務員や民事諸機関職務員が多過ぎることが上げられます。
 対処法として先ず考えられるのは、給付諸制度の審査改善に関して、国民背番号制度が順調かつ公正に運用されれば、かなり解決されると予想されます。
しかし、いかにシステムが優れていても、所詮運用するのは人間ですから、鍵となるのは、担当組織のチーム造りと各職務への適材適所な配属であって、人事教育の質を向上させる以外に解決策はなさそうです。家庭教育や学校教育の見直し(徳育強化)は長期戦略として必須でしょうが、即効性を求めるなら「職場教育訓練」の抜本的な改革を提言します。
いわゆるマニュアルに従う仕事のノウハウとかコツと言った通り一遍の教育だけでは、人間性の豊かさを身に付けることなどできません。
必修教育課程は、他と和し敬い合い、正義感と忍耐力から、厳しさと優しさを両立させて、人や社会に尽くす公徳心を養うための修行訓練しかありません。
是非各界で御検討頂きたい喫緊の課題です。
 
4.その他諸々の是正策*過剰生産、過剰投棄(毎日2万トンもの食品を廃棄、勿体ないと再販に回す悪徳業者あり)を防止するには、先ずトヨタの看板方式を取り入れ、需要に見合う生産量を目指することと、食品の賞味期限は廃止し、より厳格なる“消費期限”一本化に徹すべきでしょう。
 *黒田日銀総裁のマイナス金利は、前白川総裁のデフレ愚策(民間銀行の当座預金に0.1%のプラス金利を提供、2300億円もの“負の置き土産”)に対するアンチテーゼなのに、なぜかマスコミ報道から真相が聞こえて来ません。
記者クラブ制度を廃止するか、週刊誌記者にスキャンダル報道の矛先を切り替えてもらってはどうかとさえ、思われます。
 *ジャーナリストや評論家が、雇用は増えたが平均給与が下がったのはアベノミクスの失敗だと断罪していますが、経済学のイロハも知らぬ誤解か意図的扇動に過ぎません。
雇用減で残されるのは高給熟練高齢者であり、雇用増は若年未熟練の低賃金者が新規採用され達せられるわけですから、前後の平均給与を単純比較して論評するのは、全く無意味な誤りに過ぎません。賃金の推移を正視するには、同年齢、同職務の時系列分析から論証を起こすべきなのです。こうした初歩的ミスを犯すのか、意図的な誤用なのか、左派系マスコミや政治家には要注意です。
前項も併せ、我々受け手としても、数字のまやかしに騙されない智恵を磨いて置きましょう。
 *肉親間や幼児・老齢者の虐待・殺傷事件や男女間ストーカー・不倫、殺傷事件が多発しています。
背景に、村落型大家族制の崩壊、核家族化、単身世帯の増大、未婚・離婚の増加などの社会現象と周囲の無関心、歯止め役の欠如が上げられます。
恋愛結婚の離婚率がおよそ5割にも増加中なのに、見合い結婚では1割未満に収まっているそうで、一見時代遅れで廃れてしまった見合い結婚を見直しては如何でしょうか?
少子化対策と犯罪撲滅と言った予期せぬ効果まで期待出来そうに思います。
いずれにせよ、個対個の稚拙な社交が諸問題の根にありと見られるので、ご縁と絆でつながる面と面の人付き合いを取り戻すことに、劣化を正す方策があるのではないでしょうか。「同じ釜の飯を食った仲間」「向こう三軒両隣」の文化風習を取り戻したいものです。